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まだまだ若輩技術者ではありますが…。 - 赤星 靖 ((株)岩永組 建築部)(2006年09月13日 更新)

はじめに

私、この4月に15年勤めたゼネコンを退職し、郷里である熊本にUターンして参りました。 前の会社での経歴の内訳は、通常の設計監理業務8年、省力化技術(PCaなど)の開発設計4年、技術コンサル3年といったところでしょうか? 少し変わったところでは、ソフトウェア会社との解析ソフトの共同開発や東南アジアのタイでの鉄骨整作と寄り道も多く、何が得意分野なのかと聞かれると、返答に窮してしまうこともあります。

ということで、まだまだ若輩技術者にすぎない私ですが、これまでの拙い経験と若手の指導等を通じて感じたことを書くことに致します。

構造センスの欠如

私が、構造設計の世界に飛び込んだ15年前は、パソコンもあまり普及しておらず、 大型電算機を使った解析業務も、非常に非効率的で気の遠くなるような作業でした。 丸3日間電算を回した後、データミスに気づき、最初からやり直しなんて日常茶飯事でした。 しかしながら、手計算での確認作業を通じて、構造のオーダー感覚、 つまり、構造センスみたいなものが次第に身についていったように思います。

月日が流れて現在、高性能なパソコンが登場し、複雑な検討も短時間に可能となりました。 今や、とにかく繰り返し計算を行って、エラー項目をつぶしていくことで、 確認申請に提出できる程度のものを作成することにはそれほどの専門知識は必要ないように思います。

デティール無視の鉄骨断面や自動計算結果をそのまま反映した配筋リスト、意味不明の構造スリットなどを見るにつけ、 構造センスの欠如を憂う今日この頃です。 いや、むしろ構造設計者不要の世界がそこまで来ているのかもしれません。

構造技術者の地位向上

相変わらず、「縁の下の力持ち」のイメージが強い構造部門ではありますが、 最近になって、多少、市民権(?)を得て、日のあたる場所に出る機会が増えてきたのは、ある意味喜ばしいことです。 ただ、それが、バブル崩壊以降の躯体のローコスト追及と先の阪神淡路大震災に対する反省の副産物によるところが大である というのもいささか皮肉めいています。

ご存知のように、現行の建築基準法は中途半端な性能規定型の手法を取り入れたにすぎませんが、 将来の構造設計は、間違いなく確率論に基づいた最適設計に向かうものと確信しております。 私自身、40才を過ぎての勉強は辛いものがありますが、 構造技術者ひとりひとりが、日々研鑚に励み、その地位向上に努めていく必要があります。

無論、JSCAやKPICの今後の動向にも期待したいところです。

我々はどこに向かうべきか?

この3年間、技術コンサルを通じて異業種のエンジニアと接する機会に恵まれました。

例えば、有限要素法という手法は色々な分野で利用されておりますが、 自動車の衝突試験装置基礎の衝撃荷重解析、工作機械振動の地盤伝播解析、冷凍倉庫の熱応力解析など、 それぞれの分野の専門家と連携して作業を行うことで、 互いに不足している知識を補完しあいながら作業を進めていくことの面白さを発見することができました。

また、国際化というキーワードも忘れてはなりません。

APEC技術者認定制度など、異国間での有資格者の相互認証のための具体的な動きはあるものの、 日本の建築技術者が、マネジャーとして海外でバリバリ仕事をこなせるような土壌は、残念ながら多くはありません。 これは、単に語学力というハンデだけの問題ではないように思います。

個人的には、ハワイ辺りに生活の拠点を移し、SOHO環境での在宅勤務を夢見ておりますが、果たして実現する日が来るのやら。

今後は、部門や国籍といった自らのテリトリーを開放し、幅広く活躍の場を広げていくことが、 構造技術者に求められていくのではないでしょうか?

我々はどこに向かうべきか?さてさて、若輩技術者の悩みは尽きません。

(2004年11月掲載)

新入社員です。 - 柏木 大介 ((株)太宏設計事務所)(2006年09月13日 更新)

大学を卒業後、もう2年大学で過ごし今年から太宏設計事務所に入社しました。 学生時代が長く、やっと建築の実務ができると、夢いっぱいで会社にいきました。

会社にいったら、すぐに夢は不安にかわりました。 私みたいな人間がこの業界でやっていけるかどうか不安になりました。

周りの人はパソコンのマウスのカーソルが見えないほどのスピードで サクサク図面を描いているのに私は描いて消しての繰り返し、やっと上司に見せれるくらい描いて図面をチェックしてもらったら、 何時間か経った後その図面は真っ赤になって戻ってきた。 何回か赤ペンチェックをしてもらいながら、建物を造るということ、図面の線の1本1本の大切さを教えもらいました。

建築の実務をされている方は、ほんとにいろいろ考えて仕事をされていると思いました。

私は設計の実務は少しアバウトなものだと思っていましたが、 構造計算を行う際の仮定荷重やモデル化は思ったより細かいところまでやると思いました。 また、部材を選定する場合、安全かつ過剰設計にならないように適切な部材の大きさのものを選ばなければならないことなど、 入社して5ヶ月ぐらいですが、ほんといろんなことを教わりました。

また、会社に入って分からない建築用語も沢山ありました。 その中でも特に印象に残っているのは『フカシ』です。 言葉のひびきはなんとなくマヌケなかんじのひびきだと感じたのですが、最近は結構この言葉を気に入っています。

最近はたまに現場にも行くようになりました。 私は熊本に25年間住んでいながら、熊本の地名の場所をあまり知りません。 それに加えて方向音痴なんで初めて一人で現場に行ったときは何度も地図を見ながら、 現場と反対方向に向かってないか?不安になりながら行きました。 現場の近くでは現場の裏の道を3往復しやっと着くことできました。早く地名を覚えないと生けないと思っています。

まだまだ、不安なことがいろんな面で沢山ありますし、 建築(構造)の本当のおもしろさにまだ気づいていない気がしています。 これから自分にさせてくれる仕事を一生懸命やって、 早く、自身を持って仕事ができるようになり、建築(構造)の素晴らしさをKPICの方々と話せるようになりたいと思っています。

この執筆を通して、会社に入ってからことを振り返る機会と、これからの自分の目標を整理することができました。 このような機会を与えてくださり、ありがとうございました。

KPICを通していろいろなことを勉強できれば、良いと思っております。宜しくお願い致します。

(2004年11月掲載)

2年間を振り返って - 八戸 由美子 ((有)坂本英俊建築構造事務所)(2006年09月13日 更新)

大学を卒業後、構造設計事務所に入社し、早いもので2年が経過しました。 この機会に、今までを振り返ってみたいと思います。

「カッコイイ家に住みたい」これが私の建築の世界を目指すきっかけでした。

大学入学当初は、意匠の方に興味を持ちましたが、 いろいろな分野を勉強していくうちに徐々に構造の大切さ、すばらしさに惹かれていきました。 建物にとって外観や機能性はもちろん重要ですが、最も重要なのは安全性ではないかと考えるようになりました。

入社した当時は、何もかも初めてのことで、不安でいっぱいの毎日でした。 まず、先輩の指導のもとCADで図面を描くことから始まりました。 初めは、正確におさまりを考えながら図面を描くことに大変苦労しましたが、 しだいに楽しさを感じるようになりました。 そして、仕事にも少し慣れてきた頃、いよいよ構造計算をさせて頂くことになりましたが、 正直なところ戸惑いを感じました。 学生の頃、少なからず構造には自信を持っていたのですが、 実際に計算しようとすると分からない事ばかりで、構造の難しさを痛いほど感じました。 2年たった今でも、分からない事ばかりで、次から次に新しい問題にぶつかります。 しかし、自分で構造計算をして図面を描いたものが、 実際に建物として建ったときには、なんともいえない感動で胸がいっぱいになりました。 それと同時に自分の仕事に対する責任の重さを再認識しました。

振り返れば、今までの私は周りの人達に甘えてばかりいたような気がします。 しかし、もう3年目ともなるとそう甘えてばかりはいられません。 これからは、1日も早く仕事を覚え、自分が担当する仕事に責任を持ち、お客様に満足して頂ける様努力していきたいと思います。

未熟者ではございますが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

(2001年10月掲載)