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私の独り言 - 廣瀬 信弘 ((株)ジメント)(2006年09月13日 更新)

KPIC会員の皆様、「ヒロセです。」(ヒロシではありません)
最近、このフレーズが妙に気に入っています。はじめまして、廣瀬信弘と申します。 あまり話した事のない方が多いと思いますが、今後とも宜しくお願いします。

「何でもいいから」と先輩から頼まれ、投稿を引き受けてしまいましたが、何を書こうか、 今書きながら非常に悩んでいます。(文が浮んできません。こまった?)悩んでいてもしようがないので、 「ささやき」と言うか、私のかってな独り言を述べさせて頂きたいと思います。

まずは、私の自己紹介をします。1956年生まれ、松橋町出身です。都会に憧れ大学から、 東京に行き、仕事もしていました。平成元年に長男という事で、熊本に帰ってきました。 最初は、建築現場の仕事をしていまして、今の構造設計は26歳になってから始めました。 現場の仕事をしている頃は、主筋・配力筋の意味すら分からなかった状態でした。 そんな私が構造設計の仕事をしていると思うと不思議でなりません。 今思えば、この現場の仕事が構造設計に非常に役に立ってるなと思っています。 帰ってきてしばらくは独立して東京・熊本を行き来しながら東京の仕事を一人でやっていました。 その後縁あって、今のジメントでお世話になっています。

東京に行った当初は、活気、人の多さ、便利さ等、楽しい事ばかりだったのですが、 仕事が忙しくなるに連れて遊ぶ時間・人と会う時間が少なくなり、だんだんせわしく寂しい気持ちになってきました。 今は、熊本の人の良さ、のんびりとした雰囲気がとても気に入っています。やっぱり生まれ育った所ですよね。

最近の話題と言えば、新聞・TV等で盛んに言われているアスベスト問題ですね。我々の仕事柄、離れられないですよね。 建物に今まで使ってきたわけだし、今からは、解体現場、建物調査等で色々と注意しないと恐いですね。 私の住んでる近くに、石綿鉱山があり昔作業していました。 小さい頃、”おんじゃく”?(土に白線を書く石)を取りに行ったりしてました。 今思うと心配です。

最近仕事をしていて困ったことがありました。 ある所で、計算書の中身について「誰でも(素人でも)わかる様な説明資料を作ってほしい」と要望がありました。 なんとか作りましたが、説明資料の説明資料が必要という具合でなかなかうまくいきませんでした。 きっと、会員の皆様は、うまくやられていると思います。 何か、いい手立てでもありましたら、お教え願えれば有難いです。 長年勉強してやっと理解できたものを、誰でもわかる資料と言われても困りますよね。

また、最近やたらと何でもスピード化して戸惑っています。コンピュータの性能は上がるし、 ソフトもグレードアップしてます。Ver.UPできてないのは、私だけではと思ったりしてます。 周りがどんなに良くなっても、私だけ性能がよくならなければ仕事速くなりません。 カメさんかもしれませんが一歩一歩着実に進んでいこうかと思っています。

色々と、かってに独り言を書いてしまいましたが、「何でもいいから」という言葉に甘えまして、 ご容赦願いたいと思います。

最後に、会員の皆様の今後の御活躍及び御健勝を祈りまして終わりにしたいと思います。

(2005年12月掲載)

建築雑感@ァ閑話 - 廣田 清隆 (廣田建築・都市設計工房)(2006年09月13日 更新)

はじめに

KPICの会員のみなさんはじめまして廣田と申します。1956年本渡市生まれです。
大学卒業後、市内の設計事務所に11年勤めた後独立、今年で13年目になります。 構造計算の仕事も時々はしますが、もともと意匠設計なので、 構造一筋の皆さんの前に出るとどうも後ろめたい気がしてしまいます。 ということで、例会にもつい足が遠のき、設立からの会員なのに“はじめまして”ということになりました。 こんな私に“ささやく”資格があるのかどうか分りませんが、 何でもいいですよ、という言葉に甘えて、最近思ったことなど述べたいと思います。

仕事

最近、新聞やTV で私や私の設計したものが紹介され、 そのせいかどうか分りませんが、住宅の設計依頼が増えています。 私の親父は昔大工で、小さい頃から木の匂いのする現場が遊び場でした。 中学から高校までは、大工や左官の手元として休みの日はアルバイトしていました。 そんな訳で、いつかは自分で家を設計したいと思うようになっていました。
私にとっては、願ってもない展開なのですが、多少戸惑うこともあります。
それは、施主が設計者に抱いている幻想なのかもしれません。 私は設計は施主との共同作業だと思っています。 施主の中には、何も言わなくても夢のマイホームがポンと出来ると思っているひとが少なくありません。 また逆に、「私の言う通り設計して頂戴」と言って、こちらの提案を一切受け入れない施主もいます。
石山修武は、“建築や住宅はその持ち主の品格を表現するモノに過ぎない。 もし万が一建築家に品格があったとしても、それは依頼主の器をあくまでも補助するものに過ぎない”と 著書「設計ノート」の中で述べていますが、その通りだナァと最近思います。 私の作品だなんてオコガマシクテ言えません。

基準法改正

この前、建築士会山鹿支部から電話があって 「シックハウスの講習会をします。ついては講師をお願いします」とのこと。 頼まれれば断れない困った性格で一応引き受けたのですが、 どういう法律が出来たのかよく知りません。 そこで、テキストや資料を取り寄せ勉強しました。 そして分ったことは、実に大雑把な法律だということです。 全国津々浦々、北海道から沖縄まですべての建築物の居室には換気設備を付けろというのです。 しかも年中24時間休みなし、スイッチを切ってはならぬというのです。 増築した場合、既設の部分にも適用されます。ナンダコレハと思いました。 講習会では、建築主事が1時間法律の説明をして、私が1時間実務の説明をしました。 質疑では案の定、厳しい質問が相次ぎました。
「高気密高断熱の省エネ住宅を推進しておいて矛盾しているのではないか」 「いま手持ちの建材は使えないということか」「たまにしか使わない別荘にも24時間換気がいるのか」等々。 どう思います皆さん。

読書

何時もそばに本がないと落ち着きません。 読まなくても何時でも読めるという状況にないといやなのです。 だから、持ち歩くバッグの中、枕元、トイレに何冊かの文庫本が(単行本は高いのであまり買わない)転がっています。 学生時代は推理小説ばかり読んでいました。 就職してからは、なぜか推理小説に興味がなくなりノンフィクションやエッセイを好んで読みました。 ここ何年かは歴史が面白く司馬遼太郎を読んでいます。 「街道をゆく17島原・天草諸道」は私の生まれた天草の特異な歴史を実に詳細に描いてありました。 時の人、宮本武蔵の実像に迫った「真説宮本武蔵」も 吉川栄治の描いた武蔵とはまるで違う武蔵像を浮き彫りにしていて面白いですよ。 今、日本が産んだ不世出の天才空海の実像に迫った「空海の風景」を読んでいます。 次は長編「坂の上の雲」に挑戦しようと思っています。

取り留めのない話をだらだらと述べました。 少しは私のこと分って頂けたでしょうか。 他にも、旅行のことや音楽のことなど書きたかったのですが、次の機会(あれば)に回します。

(2004年11月掲載)

私のささやき - 梅田英親 (梅田設計事務所)(2006年09月13日 更新)

この度、『会員のささやき』の執筆依頼をいただいた時余り深く考えず引き受けてしまいました。 締切りがせまるにつれ、どんなに後悔したことか。 何より私は国語が苦手、作文を書くことなど大の苦手だったのです。 それでもせまってくる締切り、何でもいいとの言葉に甘えさせて頂、私事を書かせていただきます。

私の家族は、4人で県営アパ-トに住んでいますが、 最近ビフォ-アフタ-とかのリフォ-ムなどをするTV番組が話題になっていますが、 私の家族の中でも話題は、家を建てる話が多くなっております。

実際、高校生、中学生の息子、娘がいると団地の生活は物が溢れ、とても狭いものです。

家を建てるにも、それぞれ好き勝手な条件を出してきます。 土地の値段など考えず、娘は、友達のいる、帯山・水前寺でないといけないだと言い、 また、妻はなおかつ広い庭がないと嫌だといい、とても実現できそうにない事ばかり言い合っています。 さらに、私は私で、これも、TV番組でダッシュ村と言うのがありますが、 緑に囲まれた静かな環境、風の音、水の流れ、青い空に真っ白の雲、 そして、広い畑があり四季おりおりの作物を収穫して自然と共に時間が流れる生活を夢にています、 今、水汲みに行くついでに、阿蘇の高台や、蘇陽・矢部など、自分の理想に近い土地など見つけては、 家族に言ってもとても相手にしてくれません。

私も44歳となり建築家として、自分の理想の家を建てることを夢みていますが、 まだまた実現は遠い様です。家族の説得、資金の問題等など、クリアしなければならない事がたくさんあります。 今しばらくは、いろいろな仕事をさせて頂き、 いろいろなケ-スを参考にして、暇な時に自分の家を計画して楽しみたいと思います。 そして、なるべく早く夢が実現出来る様に努力して生きたいと思います。

最後に、大幅に締切りを遅れて御迷惑をおかけした事を、お詫びして終わりたいと思います。

(2004年11月掲載)

まだまだ若輩技術者ではありますが…。 - 赤星 靖 ((株)岩永組 建築部)(2006年09月13日 更新)

はじめに

私、この4月に15年勤めたゼネコンを退職し、郷里である熊本にUターンして参りました。 前の会社での経歴の内訳は、通常の設計監理業務8年、省力化技術(PCaなど)の開発設計4年、技術コンサル3年といったところでしょうか? 少し変わったところでは、ソフトウェア会社との解析ソフトの共同開発や東南アジアのタイでの鉄骨整作と寄り道も多く、何が得意分野なのかと聞かれると、返答に窮してしまうこともあります。

ということで、まだまだ若輩技術者にすぎない私ですが、これまでの拙い経験と若手の指導等を通じて感じたことを書くことに致します。

構造センスの欠如

私が、構造設計の世界に飛び込んだ15年前は、パソコンもあまり普及しておらず、 大型電算機を使った解析業務も、非常に非効率的で気の遠くなるような作業でした。 丸3日間電算を回した後、データミスに気づき、最初からやり直しなんて日常茶飯事でした。 しかしながら、手計算での確認作業を通じて、構造のオーダー感覚、 つまり、構造センスみたいなものが次第に身についていったように思います。

月日が流れて現在、高性能なパソコンが登場し、複雑な検討も短時間に可能となりました。 今や、とにかく繰り返し計算を行って、エラー項目をつぶしていくことで、 確認申請に提出できる程度のものを作成することにはそれほどの専門知識は必要ないように思います。

デティール無視の鉄骨断面や自動計算結果をそのまま反映した配筋リスト、意味不明の構造スリットなどを見るにつけ、 構造センスの欠如を憂う今日この頃です。 いや、むしろ構造設計者不要の世界がそこまで来ているのかもしれません。

構造技術者の地位向上

相変わらず、「縁の下の力持ち」のイメージが強い構造部門ではありますが、 最近になって、多少、市民権(?)を得て、日のあたる場所に出る機会が増えてきたのは、ある意味喜ばしいことです。 ただ、それが、バブル崩壊以降の躯体のローコスト追及と先の阪神淡路大震災に対する反省の副産物によるところが大である というのもいささか皮肉めいています。

ご存知のように、現行の建築基準法は中途半端な性能規定型の手法を取り入れたにすぎませんが、 将来の構造設計は、間違いなく確率論に基づいた最適設計に向かうものと確信しております。 私自身、40才を過ぎての勉強は辛いものがありますが、 構造技術者ひとりひとりが、日々研鑚に励み、その地位向上に努めていく必要があります。

無論、JSCAやKPICの今後の動向にも期待したいところです。

我々はどこに向かうべきか?

この3年間、技術コンサルを通じて異業種のエンジニアと接する機会に恵まれました。

例えば、有限要素法という手法は色々な分野で利用されておりますが、 自動車の衝突試験装置基礎の衝撃荷重解析、工作機械振動の地盤伝播解析、冷凍倉庫の熱応力解析など、 それぞれの分野の専門家と連携して作業を行うことで、 互いに不足している知識を補完しあいながら作業を進めていくことの面白さを発見することができました。

また、国際化というキーワードも忘れてはなりません。

APEC技術者認定制度など、異国間での有資格者の相互認証のための具体的な動きはあるものの、 日本の建築技術者が、マネジャーとして海外でバリバリ仕事をこなせるような土壌は、残念ながら多くはありません。 これは、単に語学力というハンデだけの問題ではないように思います。

個人的には、ハワイ辺りに生活の拠点を移し、SOHO環境での在宅勤務を夢見ておりますが、果たして実現する日が来るのやら。

今後は、部門や国籍といった自らのテリトリーを開放し、幅広く活躍の場を広げていくことが、 構造技術者に求められていくのではないでしょうか?

我々はどこに向かうべきか?さてさて、若輩技術者の悩みは尽きません。

(2004年11月掲載)

新入社員です。 - 柏木 大介 ((株)太宏設計事務所)(2006年09月13日 更新)

大学を卒業後、もう2年大学で過ごし今年から太宏設計事務所に入社しました。 学生時代が長く、やっと建築の実務ができると、夢いっぱいで会社にいきました。

会社にいったら、すぐに夢は不安にかわりました。 私みたいな人間がこの業界でやっていけるかどうか不安になりました。

周りの人はパソコンのマウスのカーソルが見えないほどのスピードで サクサク図面を描いているのに私は描いて消しての繰り返し、やっと上司に見せれるくらい描いて図面をチェックしてもらったら、 何時間か経った後その図面は真っ赤になって戻ってきた。 何回か赤ペンチェックをしてもらいながら、建物を造るということ、図面の線の1本1本の大切さを教えもらいました。

建築の実務をされている方は、ほんとにいろいろ考えて仕事をされていると思いました。

私は設計の実務は少しアバウトなものだと思っていましたが、 構造計算を行う際の仮定荷重やモデル化は思ったより細かいところまでやると思いました。 また、部材を選定する場合、安全かつ過剰設計にならないように適切な部材の大きさのものを選ばなければならないことなど、 入社して5ヶ月ぐらいですが、ほんといろんなことを教わりました。

また、会社に入って分からない建築用語も沢山ありました。 その中でも特に印象に残っているのは『フカシ』です。 言葉のひびきはなんとなくマヌケなかんじのひびきだと感じたのですが、最近は結構この言葉を気に入っています。

最近はたまに現場にも行くようになりました。 私は熊本に25年間住んでいながら、熊本の地名の場所をあまり知りません。 それに加えて方向音痴なんで初めて一人で現場に行ったときは何度も地図を見ながら、 現場と反対方向に向かってないか?不安になりながら行きました。 現場の近くでは現場の裏の道を3往復しやっと着くことできました。早く地名を覚えないと生けないと思っています。

まだまだ、不安なことがいろんな面で沢山ありますし、 建築(構造)の本当のおもしろさにまだ気づいていない気がしています。 これから自分にさせてくれる仕事を一生懸命やって、 早く、自身を持って仕事ができるようになり、建築(構造)の素晴らしさをKPICの方々と話せるようになりたいと思っています。

この執筆を通して、会社に入ってからことを振り返る機会と、これからの自分の目標を整理することができました。 このような機会を与えてくださり、ありがとうございました。

KPICを通していろいろなことを勉強できれば、良いと思っております。宜しくお願い致します。

(2004年11月掲載)

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