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建築と関わるようになって - 原田 幸一 (原田設計事務所)(2006年09月13日 更新)

意味のある文章になるとよいのですが、高校三年生になってさて何科に進もうかとほんの少し考えて、 実家が鉄工所なので結局工学部建築科に落ち着いた。 高校では物理が苦手だったが、二次試験では幸い無かった。数学と英語だけだった。

大学時代 1980~1984

1年から3年は基本事項の学習であるが具体的でないのでとてもつまらなかった。 4年になり卒論は疲労破壊試験に関することでこれまた多くの時間がかかるわりには変化が少なかった。 研究室にcomodole(?)のPCがおさがりで置かれていた。ちょっとだけさわった。 はやく実務につきたくなり、就職の掲示板を眺めているとたまたま構造担当の募集があり、あっさり設計事務所に就職が決まった。 事務所になじむように月一であそびに行ってPC9801Fを恐る恐るさわって、 参考書の例題の応用プログラムを作ろうとするが巧くいかず就職したらどうなることやらであった。

設計事務所勤務 1985~1998

地元の総勢10名程度の事務所は構造の部門に2,3名が当たっていた。 最初は二次部材の計算書作成、構造図の手伝い(当時は手書き)、 電電公社のDEMOSを使って設計全体へ関わり計算書作成、保護者つきの現場監督を経て、 いよいよ一つの物件をたった一人で担当することになる。 今度はまっさらの状態で構造計画から始まり、 意匠に変更追加をお願いしてなんとか計算が終わると納まっていない意匠との打合せを経て構造図完成、建築指導課への対応、 現場監理では工事が始まると現物の大きさにびっくりした。 もう一回計算をチェックしたくなるがそんな時間は無い。 現場所長から「線一本の大切さ」を教えられたのが記憶に残っている。 鉄骨造、RC造をそれぞれひとつずつ終えるとなんとかなるかなーといい気になってから奥が深いのが技術の世界(どんな分野でも同じことでしょう)。

総合事務所の一番良いところは意匠・設備との打合せ、 図面合わせ(最後の食い違いを無くす)、現場での週一定例会などで耳年増になっていったことである。 会議が多く退屈な時も多かったが建築への理解が深まりとても意義深いと思う。

90年代にはいり構造の先輩と引き換えにCADと一貫計算ソフトが導入された。 困ったことに所内で構造は一人になってしまった。外の構造設計事務所の方と興味深い話が広がり始めた。 9801RSがmyPCだ。所内のPC管理係りは忙しいかもしれないが進んでなりましょう。 あとできっと役に立ちます耐震診断を幾つかこなし、 後輩もできて後はよろしくまたも一人で引き継いでもらっている。

設計事務所開設

まぁなんとかやっています。自己管理が大変ですけど。 最近は大学で知識処理の言語DSPを使った構造計算への応用をやっています。 興味ある方はお気軽に声をかけて下さい。 これからはCGが趣味の世界から脱出すると良いのかどうかわからない。

以上、とりとめなくだらだらと書いてしまいました。  おわり

(2000年10月掲載)